中国の4大直轄市
北 京 市 上 海 市 天 津 市

重 慶 市


北京市


中国語発音: beijing 北京紫禁城
人口: 1246万人
面積: 1.68万平方キロ

  京と略称する。華北平原の北部にある。遼の副都南京、金の中都燕京、元の首都大都を経て明・清時代に北京と呼ばれた。中華人民共和国の首都、河北省中央部に位置し、12区、6県からなる中央直轄市で、広さは日本の四国に匹敵する。

   一九二八年中華民国の南京遷都により北平(ペーピン)と称し、三八年再び北京に改称。明・清の皇城の紫禁城を中心に碁盤目の街路で区切られている。北京には坂が一つもない、東京23区の広さの市街区が真っ平らである。世界の自然・文化遺産としては万里の長城、周口店北京原人、故宮、頤和園、天壇など名所旧跡がある。

  北京の中関村地区は中国随一の科学・教育機関や知識人の密集地区であり、他国においても方を並べる地域は希であります。地区内にある北京大学や清華大学に代表される独自の学科や業績を持つ68の高等教育機関で、総計30万の学生が学んでいます。

  同様に、中国科学院(Academia Sinica)をはじめ213の研究機関が所在し、中国科学院と中国工学院のメンバーの36%がこの地区に居住しています。毎年、数多くの高度な研究結果がここで発表され、中国全域に発せられています。この地区にはアジア最大の国立図書館も所在し、中国最大のソフトウェア産業の基盤でもあります。


上海


中国語発音: shanghaii 上海外灘
人口: 1464万人
面積: 0.62万平方キロ

  中国の揚子江河口近くにある都市。古い歴史を持つ上海は、6000年前から原始村の姿で現れ、紀元前3世紀に"戸読"という名前が生まれ、宋代になって上海は港として存在する。そして、元代になってから、都として誕生した。明代において上海は紡織分野で役立ち、清代には"海港"が設けられ、貿易と運輸において全国で有数のものとなっている。南京条約で開港した古い貿易港で、第二次世界大戦前は英・米・日の共同租界とフランス租界が設けられ、国際色豊かな半植民地都市であったが、革命後大工業都市に変わった。
  
  今日の上海は、中国で最も大きな工業基地であり、中国の経済、金融、、貿易、科学技術、通信および文化領域に中心となっている。近年の上海は、交通建設に拍車をかけ、鉄道、水運、空輸をはじめとする交通手段が上海の便利な交通ネットとなっている。そうした努力は、厳しい上海の交通問題を和らげられるようになった。そのほかに、工業産業から金融、不動産、貿易などの領域にいたるまで世界とつながり、大きな成果を遂げてきた。


天津市


中国語発音: tianjin 天津市
人口: 960万人
面積: 1.13万平方キロ

  津の形成は、隋の煬帝による大運河の開通に始まり、唐の中葉以後、南方の米を軍糧として北方に運ぶ拠点となった。宋金時には「直沽要寨」と称し、元朝時には「海津鎭」と改称したが、天津は北京に通じる北運河と南方に通じる南運河を結びつける重要な戦略的位置にあった。

  明の永楽帝は「靖難の変」で皇帝の位を奪ったが、その際、燕王の軍は、この地で海河を渡り都の南京に進軍した。永楽2年(1404年)、「天子の津(渡し場)」であったことを記念して「天津衛」が築かれ、これが天津の名のはじめとなった。「衛」とは5600人規模の軍事編成を示している。17世紀以降、天津は大運河による南方からの物資輸送の拠点として経済が発展し、都市としての規模もそれに伴い拡大し、商業都市として繁栄した。

近代に入ると北京条約(1860年)により、天津は開港され、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、日本が租界を設置し、義和団の乱後は、ロシア、ベルギー、イタリア、オーストリアが租界を設置した。9カ国もの租界が一地域にあったのは、天津だけであった。しかし、当時の天津は、工業生産と通商貿易額が、上海に次ぐ商工業都市、また中国北方最大の金融・商業。貿易の中心であった。1949年、新中国の成立により、租界は完全に消滅し、面積61km2、人口179万人の都市として新たに出発した。市域は幾度もの行政区画変更を経て、1973年に現在の行政区画となった。


重慶市


中国発音: chongqing 重慶市
人口: 3060万人
面積: 8.2万平方キロ

  1189年に、南宋孝宗帝の第3子趙惇は、恭州の藩王になったのち皇位をゆずられました。これを「双重喜慶(二重の喜び)」として、恭州を重慶府に昇格させたのが、重慶の名前の由来です1876年に清朝は英国と「煙台条約」を結び、重慶が開港され、91年には税関が開設されました。これによって四川省の経済的な中心は成都から長江水運の拠点港である重慶に移りました。

  沿海諸都市から、多くの人々や工場が重慶に移転し、市街区の人口は1945年に120万人を超え、工場は1,600以上に達しました。こうした人口や産業施設の移転により、重慶は工業都市としての基礎を築くことになりました。92年に長江沿岸開放都市に指定され、さらに、97年、重慶市は、北京・上海・天津につぐ第4の中央直轄市となりました。

  鉄鋼・自動車・化学肥料・機械をはじめとする重化学工業を中心に発展した工業都市です。工業生産の70%が重工業で、うち9割近くを大型の国有企業が占めています。93年には、内陸都市としては唯一の、国務院に承認された経済技術開発区が設立されました。産業部門の内訳は第1次産業が21%、第2次産業が46%、第3次産業が33%になっています。